2017年04月16日

最近の話(2017/04/16)

大学に卒業文集なるものがあったとしたら、きっとこんなことを書いたんだろうと思いながら、今しか書けない気がする現在の心境をつらつらと、近況報告的な意味も込めて書いています。

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・今、何をしているのか?
こういう類の文章で前置きとか書くのはすごく苦手なので、単刀直入に今現在の状況を説明すれば…

3月に某大学法学部を無事卒業し、親元を離れ、新社会人として働き始めている。
何の仕事をしているのかというと、実は農業をやっている。

…という感じになります。
法学部卒で農業だなんて、まあ驚かない人の方が珍しいわけですが、エイプリルフールからは既に半月以上経ってますし本当です。

私が農業をやっていると言えば、次に相手から返ってくる言葉は「なぜに農業?」に決まっています。実際かなり聞かれました。話せば長く面倒臭くなりそうなので、その都度「他にやりたいことがなかったから」みたいな感じで返していたのですが、自分の中でも整理しきれていない部分があるので、この場に書きながら整理します。

・自分は何をしたいのか?
「他にやりたいことがなかったから」というのは、適当に返す言葉として非常に便利ですが、あながち間違ってもいません。

私が通っていた大学では3年の夏ぐらいから就職ガイダンスのようなものが開かれる仕組みになっていて、その時から業界研究だの面接対策だのインターンシップがどうのだのとありがたいお話を聞く機会が多くありました。その度に今後の人生を真剣に考え、就職活動解禁までにはある程度方向性が決まるだろうと踏んでいました。しかし思うように将来像を描くことができず、ただ時間だけが流れるという日々が続いていきました。

やがて三年の学年末試験が終わり、すぐに就職活動解禁の時期を迎え、就活サイトからは毎日迷惑メールのごとく合同会社説明会のお知らせが届き、さすがにそのまま何もしないのもいかがなものかと思い、少しは興味がある業界の会社説明から、あまり興味がない業界の会社説明まで、いくつか聞きに行ってみたりはしました。しかし、こういう会社には入りたくないというネガティブリストは出来上がったものの、特別こういうところで働いてみたいというのは結局見えてきませんでした。

そうなればネガティブリストに入っていない会社を数撃ちゃ当たるで受けてみて、当たったら入社みたいな感じでいけば…とも少しは考えたのですが、そういうエネルギーはあまりわいてきませんでした。当然ながら履歴書やエントリーシートは受ける会社の数だけ書かなければならないですし、書く内容もそれぞれ変えていかなければならない部分もあり、下手な鉄砲を撃つにも一発一発がけっこう重いわけです。じゃあ本当に安い弾にしちゃえば?というのもありますが、あまり興味がない会社向けにそれっぽい内容の文章を安く組み立てるのも、自分に嘘をついているようで別の意味で辛く、結果として数打ちゃ当たる戦法はやめることにしました。

そして恥ずかしながら、結局自分は何をしたいのか?という振り出しに戻ってきてしまったのでした。そして、これまでの人生を振り返ってみたりもしました。

・夢はなかったのか?
幼稚園生ならニチアサのヒーロー、小学生ならスポーツ選手とかが将来の夢を聞かれた時の定番の答えです。もっとも、最近の小学生なんかはスポーツ選手じゃなくてYouTuberとか言うらしいですけど、それは置いておくとして、私も一応小さい頃は無邪気な夢を持っていました。

それはたしか小学校に入学してすぐくらいの時、私は同じクラスのいじめっ子に目を付けられていて、モノを隠されたりしました。私はそれまで誰かに嫌なことをされるという経験はなかったため、驚くとともにすごく悲しかったんだと思います。それで「学校行くとモノを隠されるから行かない」と言い出し、登校を拒否し始めたのでした。

一週間くらいそれが続いたんじゃないかと記憶しています。ずっと泣いてたとかではなく、家では元気に過ごしていたと思います。テレビで「がんこちゃん」を見た記憶はあります。当時は小学校に入ったばかりなので、義務教育が云々みたいなこともよくわからず、学校に通わないことによる嫌悪感みたいなものはなかったはずです。ただ、日に日に両親からの「学校行こう」の圧力が増してきて、「心配させちゃってるのかな…?」みたいな感情は徐々に芽生えたと思います。しかしながら、学校に行かなければモノを隠される心配はないという非常に合理的な思考を小学生ながらにして思いついて実践してしまった私は、親に責められても「不登校になったのはモノを隠すヤツのせい」みたいな思考のままでしたし、自分が責められることについてあまり納得はしていませんでした。

その新一年生にとっては長い一週間の不登校が終わるきっかけとなったのは、夜中の父親との会話でした。夜中と言っても当時小学生なので、たぶん10時とかでもすごく夜遅く感じたはずなのでそのぐらいの時間だったのでしょうが、「まあここに座れ」みたいな感じだったかと思います。ついに本格的に説教されるのかな…みたいなことを小学生ながら覚悟したわけですが、お菓子が出てきて驚きました。リラックスさせたかったのでしょう。そしてここからやっと話が繋がります。

リラックスムードの中、将来の夢を問われました。私はどういう意図の質問なんだろうとかそんなことは一切考えず、少し悩んでから「おもちゃ屋さんになりたい」と言いました。

で、これが完全に誘導尋問だったわけですが、じゃあ算数ができないといけないね、国語ができないといけないねでうまいこと罠(?)にはめられ、学校に行くことの必要性を自覚したのでした。でも結局翌日も学校行きたくないとか言って、それを見かねて母親が「学校行ったらご褒美あげる」みたいなことを言って、最終的にはそれが決め手で学校へ再び行くようにはなったんですけどね。ガキはご褒美に弱いわけです。笑(このくだり必要だったのか…?)

…蛇足はともかく、私が将来の夢を語ったのは、記憶にある限りこれが初めてです。

今おもちゃ屋さんやりたいかと言われると、少子高齢化の中で現実味があまり…みたいな話にはなりますが、【おもちゃ=ガジェット=大人のおもちゃ】みたいな曲解をすると、このブログのレビュー記事のリンクからモノが買われていって、ほんの少しだけ私の懐に入ってくるシステムを運用しているあたりは、小学生の時の夢を叶えてしまっている…かもしれませんね。(ただ、現状お小遣い稼ぎにもならないレベルだし、これ以上稼げるとも思っていないし、趣味でやってる部分は非常に大きいので、某キャッチコピー「好きなことで、行きていく」みたいなことを考えたことは一度たりともありません。)

その後は将来の夢を聞かれた時に、漠然と「デザイナー(何の?)。」とか「会社員。」とか言ってた気がします。「おもちゃ屋さんやりたいー!」とか言うのがちょっとダサくなってきた年頃から、そういうそれっぽい返答をすればいいとわかって、そうやって適当に答えているうちに、次第に将来のことをあまり考えない人間が出来上がっていったのだと思います。

・生きる上での指標を作り上げた高校生活
変化が起きたのは高校受験でした。私は地元のそこそこ頭のいい公立高校を「まあなんだかんだで受かるだろう」という気持ちで受験しました。そして、前期・後期の二回受験するも失敗し、滑り止めで受けていた某私立高校に通うことになりました。その私立高校には県内有数の実力を誇る自転車競技部があって、「もし公立で落ちたら吹っ切れてガチで自転車やろう」と思っていたところ、見事に落ちてしまったのでガチで自転車をやり始めました。

私は親の影響で小さい頃から自転車には乗っていたのですが、本格的に競技を行うというよりは趣味性の部分が多くありました。とくに、一緒に走る相手は親だけで、他の同年代の人と一緒に練習をするという機会はありませんでした。競技部に入部してからは共通の趣味を持つ仲間とすぐに打ち解け、お互いに切磋琢磨するという、今までは考えられなかった世界が一気に広がり、私の行動範囲や考え方は大きく変わっていきました。最近周りからよく「アクティブすぎる」と指摘されるのですが、地図を見て「この通りをここで曲がってしばらく行けばとりあえずあそこに着ける!」(ただし距離は度外視)みたいな距離感覚は、確実に自転車競技部という”異質な空間”で育ってしまったものだと断言できます。…自転車で10kmとかでも普通の人にとっては既に頭おかしい距離なんですよね。

その頭おかしい距離感覚の形成を急激に成長させたのが、”自転車通学”と称した事実上の朝練でした。高校は千葉市にあったのですが、三郷とか浦安とかその辺から自転車通学してくる先輩方が普通にいて、それにつられて私も船橋から雨が降らない限りは基本的に自転車通学をしていました。片道だいたい25kmとかだったかと思います。そしてこの自転車通学によって地足が鍛えられ、私はあまり運動ができる方ではなかったのですが、部の厳しい練習にもそれなりについていけるようになっていきました。

そして自転車通学には地足の向上という側面以外にも得られるものがありました。それが、頭で考えながら体を動かすという能力です。

当然ながら長距離の自転車通学には相応のリスクが存在します。自転車と車という異なる速度域の乗り物が同じ空間にあれば、どちらか一方の不注意一つで重大な事故が発生しかねません。実際のところ、私も何度か危ない目に遭いそうになったことがあります。大抵は相手の責任が非常に大きいのですが、とはいえ、いくら相手が悪かろうと私が事故に遭って死んでしまったりでもしたら、責任云々の話にはなりません。それはもう取り返しのつかないことです。「そうなる前に」と私は、どうすれば安全を確保しつつも速く走ることができるかを常に考えながら走っていました。そして次第に、「周りの車を見てその人がこれからどのように行動するつもりなのかを推測すれば安心して走れる」ということがわかっていきました。

それがわかってから、この能力は自転車で安全に走るためだけでなく、もっといろんなことに応用できるなと気づき、日常生活にもこの考え方を取り入れるようになりました。そうすると思いの外「気が利く」とか言われて感謝されるようになり、そこから私は「お互いの意図や考え方を推測・理解し、尊敬し合うことができれば、世の中はきっとうまい方向に進む」と考えるようになりました。

ちょうどその頃、未曾有の大震災は起こりました。東日本大震災です。高校一年生の学年末試験を終えた私は、気分転換のため自転車に乗っていました。「今日はなんだか風が強く吹いてるなー。電線の風のなびき方すごいなー。」とか思ったらそれが地震だったのです。揺れに気づきにくい状態だったのでしょう。これはまずいと思って家に帰る途中にも、地震の被害を受けた建物をいくつか見ました。家に帰れば、高く積んであった荷物が床に倒れかかっていたり、食器がいくつか割れていたりもしました。しかしそれが本当に小さなことに感じられるくらい、TVで報じられる東北の津波の被害の様子は非常に生々しいものがありました。連日の被害報道に私も居ても立っても居られない状態にはなりましたが、まずは自分のできる範囲から…と、世の中をうまい方向に進めるために自分ができる役割を考え続け、そこから得られたものを少しづつ実践していきました。

そしてその考えから「将来は行政の人間になって社会の役に立つ」という夢を持つようになりました。

高校生活も終わりに近づくにつれ、進路を考える時には夢を実現するため法学部のある大学を探し始めました。大学選びをするにあたっては、法学部を持つ有名な大学は都内にいくつもあるものの、「過度な都内一極集中は帰宅困難者を生む原因を作った」とか、「そもそも人口減少社会なのだから、むしろ人口分散が必要」という真面目な考察をした結果、千葉県内の大学に進学することを決め、実際に入学しました。…とか言いつつも一番の理由は「自転車通学できそうだから」だった気はします。(笑)

・半分迷走の大学生活
無事に希望していた大学に入学し、大学生活を始めました。行政の人間になるという夢を実現するため、日々これ努力…といきたかったのですが、迷走します。というのも、”行政の人間”とは一体なんぞやという壁にブチ当たってしまったのです。

とりあえずは真面目に授業を受けていればきっとわかってくるだろうと思って、そこには力を注ぎました。ただ、授業以外のところでの悩み(これこうなった)なども生じてきて、次第に「今やってることは本当に正しいのか?」と考えてしまうことも多くなってきて、あまり授業にも集中できなくなり、二年の時、ついにある授業で単位を落としてしまいました。

そうかと思えば「iOSアプリを作ってみたい」などと思いついたりして、全くの未経験からプログラミングに手を出し、一度挫折し、またもう一度手を出しまた挫折したりもしました。

この迷走の日々はなかなか厳しいものがありましたが、今思うと真面目に将来に向き合えた有益な時間だったのかなと前向きに捉えています。

その後は原点に戻り、焦りを抑えられるように将来のこととは少し距離を置くように努め、少しずつ自分を取り戻していきました。その結果、授業への熱も再び取り戻し、三年の学年末試験は過去最高の成績で終えることができました。しかし、その時にはもう「数週間後に就活解禁」という状況だったわけです。

・「ぼんやり考えていること」の集合体が夢だっていいじゃないか
さて、将来の夢というものを軸にここまでの人生を振り返ってみましたが、これを読んでどこがどう結びついて農業なのかは理解不能だと思います。書かない方がスマートだった気はしますが、論文とかと違って字数制限がないので、書いてしまった分を消す理由はないだろうととりあえず残しておくことにします。

ところで、”夢”ってなんなんでしょうか。

私が通っていた中学校の校長はなかなかいい話をする方で、「夢なき者に目標なし」「目標なき者に計画なし」みたいな話を学期始めに言っていて、それが今でも頭に染み付いています。これはたぶん、「夢があれば日々を有意義に暮らせるし、日々を大切に生きていれば夢に近づけるよ」って意味なんだと思うのですが、でもこれってけっこう残酷な話じゃないでしょうか。夢がなかったら人生は有意義に過ごせないのでしょうか。

変な話、私はこの言葉が引っかかって生きづらかったのでは?とさえ思っています。この論法で言えば、夢と目標はほぼイコールの関係にあると言えそうです。もし夢が漠然とし過ぎたものだったとしたら、「夢」の状態から「目標」の状態へと変換するのは非常に困難で、変換はそこで止まってしまいます。

私には「社会の役に立ちたい」というシンプルな漠然とした夢がありましたが、いくらなんでも漠然とし過ぎているし、世間一般的だし、目標への変換は不可能でした。ただ、ある時この校長の言葉を客観的に分析してみると、いくらなんでも夢を手段として捉え過ぎなのでは?と気づくことができて、だいぶ気持ちが楽になったのを覚えています。世間は手段的な夢を要求しがちです。もっと気楽でよかったはずです。

最近ようやく私の”夢”に対する認識が言語化できたので、ツイートを貼っておきます。



…相変わらずこれを読んでもわかりにくいですが、ぼんやりずっと考えていたものが蓄積されて、それがいざ現実のものになりそうだという時になってそれが目標となり、実現された時に初めて「これが夢だったんだ」と思うんだろうということを書いたつもりです。わけがわからないですね。

…まあ、そういうことです。(どういうことだ)

・おわりに
この文章を書いてみれば少しは頭の整理になるだろうとは思いましたが、自分語りの長文になるだけでした。ここまでちゃんと読んでくださった方にはお詫び申し上げます。申し訳ございません。

どうして農業なんかやるんだ…?という疑問については、もういっそ次の部分だけ読んでください。

大前提として、法学部生でも法律に全く関係のない分野に就職することは珍しくはありません。私の友人の中には介護職に就いた者もいます。

その上で…

郊外の人口流出は深刻です。
農業人口は減少しています。
私は満員電車が嫌いです。
できれば自由に自転車に乗れる場所に住みたいです。
→郊外の農業で働けば全部解決できるんじゃ?

…という思考回路だと思ってくれて結構です。これで納得するかどうかは別として。

あくまで仕事は仕事です。嫌なことがあっても仕事なら割り切れます。そこはどんな仕事に就いても同じなはずです。

私にはたまたま農業という選択肢があったというただそれだけの話です。とくに特別、農業がやりたいわけではありません。

ただ、きっとそのうち、私がここで働いてることで社会の役に立てているという実感が湧くタイミングが訪れるはずです。その時に「これが夢だったんだ」と思えれば、私はそれで満足するタイプの人間です。つまらないヤツだと思うかもしれないですが、そういうヤツなんです。

…まとまらないのでここで文章を終わりにします。
とりあえず今、私は頑張っています。元気にやってます。

posted by tmo1201_blog at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする