2017年11月10日

新卒で一人郊外に引っ越して農家で働いてみたら半年でクビになった件

タイトルの通りです。「最近平日の妙な時間にtwitterやってんなこいつ」と思ってた方、こういう理由です。

ここまでの私の人生はピカピカの就職1ヶ月目にブログ記事にまとめています。希望のこもった1ヶ月目の記事と絶望しかないこの記事とのギャップを楽しみたいというドSな方は読んでみるといいんじゃないかと思います。

最近の話(2017/04/16): tmo1201_blog
http://tmo1201-blog.seesaa.net/article/449068726.html


・動機が社会貢献なのは不純か
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上の記事にも書きましたが、私は特別この仕事がやりたいというわけではありませんでした。ただ、あくまで仕事として真剣に取り組もうと思っていました。仕事は仕事で趣味とか夢は別、という考えです。何もおかしい話ではないはずですし、そのような考えの人は多いはずです。

その中で、私は多少汚い仕事や身体を使う仕事に対してあまり抵抗がない方で、農業を職業とする人が足りなくなってきているという現状を鑑みた時、「そうならば」と誰も座ろうとしないその椅子に座ることを、勇気を持って決断したわけです。

仕事に就いてからはその決意のもと、無遅刻無欠勤は当然のことながら、全てが初めてで未知の領域となる仕事に真剣に取り組み、低賃金と少ない休日にも一切の不満も示さず、ここまで働いてきたわけです。

そこで突如言われた言葉が「大槻君に今の給料を払い続けるのは正直厳しい。」というものでした。怒り、悲しみ、不甲斐なさ、情けなさ、屈辱、恐怖。いろんな感情がブレンドされた、今まで味わったことのない感情が溢れ出てきたのを思い出します。

・背景にある職場環境
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もう失うものは何もないので暴露すると、私の給料は月19万円でした。(就職から3ヶ月間は研修期間のため17万円でした。)一日の労働時間は8時間で休日は月6日。まああまり条件はよくないわけですが、それは納得の上就職しました。

ただ、この待遇は私の職場内ではかなり優遇されていました。私の勤務していた農家は、社長とその家族、パートさん数名と私というメンバーで構成されていて、新卒の正社員として雇用された私は異質な存在でした。それ故に一応大事に(どこが?)働かせてもらっていたわけです。私以外のメンバーは私が休んでいる間も働いていて、逆に私が勤務する日に他のメンバーが休んだ日をほとんど見たことがないというレベルです。

そもそも労働基準法的に大丈夫なのか?という部分については言うまでもなくアウトでしょう。それでも誰も文句を言わずに働きます。背景にあるのがパートさんです。パートさんは全員外国人労働者です。

・賃金の安売り競争に負けた
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パートとして出稼ぎに日本に来ている彼女らは、技能実習生制度を利用しています。この制度では最長でも3年の間しか日本で働くことができません。それ故、彼女らはその三年の間にできる限りの金銭を稼ぎ、本国へ帰りたいと考えるわけです。短期決戦だと思って無理をするわけですね。

よく技能実習生制度について人権的な観点から「まるで奴隷のようだ」と比喩されているのが見受けられます。職場によってはそうなのかもしれませんが、私が見た実際の姿は、奴隷と言うよりは「志願兵」のようでした。自らの意思によって本当によく働いていて、普通に働いている私がどうしても霞んでしまうわけです。

正社員としてこの農家に就職した私に課せられたミッションは、まさにこのパートさん達に対して指示を出し、現場をコントロールし、より生産性を上げる、というものでした。しかしどうでしょう。私以上に(法の枠を明らかに超えてまで)働くパートさんに対して、普通に(それでも許せるギリギリの待遇で)働いている私が指示を出すことなんてできるでしょうか。

パートさんの立場から見れば、「なんか急にフラッと入ってきた現場知識皆無の新入り、そして職場の中で一番楽してそうな若造」というようにしか映らないはずです。当然リスペクトなんてされるはずもなく、賃金の安売り競争に巻き込まれる形となったのは言うまでもありません。

そうした中での 「大槻君に今の給料を払い続けるのは正直厳しい。」という言葉だったわけです。

やりました、やったんですよ!必死に!その結果がこれなんですよ!これ以上何をどうしろって言うんです!何と戦えって言うんですか!!!

・そして今
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まあ冷静になるとして、客観的に見て今の状況はけっこうまずいわけです。現状無職です。

家族にはすぐに直接会って話をしてきました。大変ありがたいことに全て理解してくれて協力をしてくれることになりました。家族会議では「とりあえず少し休んだらハロワ行くなりなんなりしよう」という結論になりました。まあそれしかないでしょう。

このブログを書いているのも心の整理の一環です。あとほんの少ししたら次のステップに移行できるかと思います。気持ちはあくまで前向きなので、そのあたりの心配は大丈夫です。

とはいえ、本当に、なんだかなあという感じです。




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2017年06月18日

”ど田舎”とは言えない程度の郊外で生きていくということ

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この前も書いた通り、今年の春に千葉県船橋市の実家から同県旭市に移住しました。もうすぐ3ヶ月くらいになるので、感想みたいなものを書いてみます。

・意外と不便しない日常生活
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なんとなく先入観的に、郊外に出ると以前よりも生活が不便になるというイメージを持ちがちですが、私の場合は意外とそうでもありませんでした。それなりにいい物件を押さえたというのはありますが、最寄りのスーパーまでは歩いて10分かからず、コンビニにいたっては3分もかからないという条件で、日常の買い物に関しては下手したら船橋の実家より便利になったかもと思うほどです。

コンビニは主要三社+セーブオン、ミニストップがそこらじゅうに散らばっていて、ユニクロやgu、ドン・キホーテ、主要なファミレスやファストフード店もそこそこ揃っていて、「松屋もすき家もあるのに肝心の吉野家がない!」という重大な事象を除けばこれといって不便していません。

もし欲しいものが売っていなくても、最悪Amazonで買い物してコンビニ受け取りとかにしてしまえば、最短で翌日に受け取ることができますし、船橋市で暮らしていた時と同じくらいの日常生活を送ることができていると思います。

・ドン引きするほど車社会
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ただし船橋市と決定的に違うのは、ほとんどの人が移動に車を使っていて、歩いている人を見ることが珍しいということです。というのも、お店は基本的に長い一直線の国道沿いにズラッと並んでいて、歩くのには不便な街の作りになっているからです。生活するのに車は必須アイテムです。

それを印象付けさせたのが運転代行業者の多さです。引っ越して来て数日経って気づいたのですが、ここではタクシーよりも運転代行の方が圧倒的なシェアを持っているのです。タクシーはまず見ません。運転代行を使うシーンといえば、「車で居酒屋へ行って飲み、飲酒運転はできないから代行を呼ぶ」という感じなのだと思うのですが、「飲むなら乗らない」というのが普通だと思っていた私にはすごく衝撃的でした。運転代行ありきの行動がスタンダードになるほど他の移動手段が存在しないということなのでしょう。車社会すごいです。

とはいえ、「いくら車社会と言っても、健康のためにランニングとかする人の一人二人くらいいてもいいのでは?」と疑問に思っていたところ、つい先日その疑問が晴れました。どうやら健康志向の人たちは国道沿いの運動公園に車で乗り付けて、その公園内で運動をしているようです。

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たしかに公園内の方が何かと安全だし、効率的だし…と理解はできるものの、なんだか釈然としませんでした。

・ささやかなる反抗
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そんな車社会の街へのアンチテーゼとして…という多少の厨二心と、「通勤に車を使ってるからどこかで運動しないとな」という健康志向から、私はできる限り多少不便でも国道を歩くようにしています。車だとあっという間の距離でも、歩くとけっこうな時間がかかります。国道の制限速度が50km/hと比較的高めに設定されているのと、信号が少なくて渋滞するポイントがほとんどないというのが余計にそのギャップを作っているのだろうと思います。本当に車向けの道路としては百点満点と言えます。(ちなみに自転車だとただただ抜かされるだけで全く面白くありません。)

車向けの道路としては百点満点の国道ですが、歩道はひどいものです。雨が降ると水捌けが異常に悪い箇所があったり、カラスのフンがアスファルトの大部分を白く覆っている箇所があったり、歩かせる気が本当にあるのか小一時間正座させて問いただしたくなるくらい草がボーボーに生えてる箇所があったりで、最初の頃は「これ誰も文句言わないんだろうか…?」と思っていましたが、すぐに「あ、そっか。誰も歩かないもんな。」と納得するようになってしまいました。

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しかしそれでも、「私が歩くことによって、もしかしたらちょっとでも歩道が綺麗になったりするんじゃないか…?」とかそういうことを考えながら歩いていたりもします。これで轢き殺されると完全に笑えないので、夜道では一応明るい服装と反射材の着用を心がけています。夜なんか星が綺麗に見えるので、歩くのも悪くないと思うのですが…。

・久々のショッピングモールに感動
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ところで話は一気に変わるのですが、先日仕事が休みだったので銚子にドライブに行って来ました。日本で一番早く初日の出が見られる(山頂と離島を除く)ことで有名な犬吠埼灯台あたりの景色を見て日々の仕事の疲れを癒し、自宅から20kmくらいでこの景色が見られるというのはなかなかいいななんてことを考えていました。

犬吠埼灯台に登ろうとするも閉館時間が思いの外早くて登れず、家に帰るにも中途半端な時間になってしまった私は、そのまま帰るのももったいない気がして、近くにあったイオンモール銚子になんとなく入ってみたのでした。そしたら妙に感動してしまったのです。

なんと、ショッピングモールに懐かしさを感じてしまったのです。思えば船橋市に住んでいた頃の私の休日の過ごし方と言えば、家から15kmくらい離れたららぽーと TOKYO-BAYまで自転車で行き、なんとなくモールを一周してみたりするのが定番でした。その時の感覚が急に蘇って来て、妙な感動を覚えてしまったのです。

特に感動したのが、歩いてるだけでいろんなお店を見ることができるという点です。これが最近の生活の中では失われていたということに気づかされました。

どういうことかというと、これがまた車社会の話に繋がっていきます。先ほども書いた通り、私の生活圏内には一応満足できるだけの種類のお店が存在するわけですが、それらは全て国道沿いに面しています。そうするとこんなことが起こります。

例えば、国道沿いの靴屋、服屋、雑貨屋の3件に用事があるとします。メインの用事は服屋です。ただし、服屋は家から一番離れた場所にあって、途中に靴屋が左側に、雑貨屋が右側に立地しています。そうなった時に、まず始めに服屋に行こうなんて普通は考えません。効率的に、靴屋、服屋、雑貨屋の順で行こうとするはずです。さらに買い物の間にお昼ご飯も食べたいなんて思ったら、途中にある効率的に入れるお店にお昼ご飯が限定されてしまいます。

ショッピングモールにはこのような不自由さがなく、気軽に歩いて気に入ったお店に効率性を考えることなく入っていけるわけです。ショッピングモール素晴らしすぎません?こんなところでショッピングモールの素晴らしさを語ったところで何になるのかはわかりませんが。

・刺激補完計画
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今思えば、船橋市に住んでいた頃の私は、気軽にいろいろなお店に入っていける環境から様々な刺激を受けて、自分なりの価値観を作り上げていっていたのかもしれません。

よく「都会には刺激がたくさんあって、田舎には刺激が少ない」なんてことが言われます。私はつい最近まで「今はネット社会だし、インターネットで得られる情報は都会も田舎も変わらないのだから、そのような定説は一昔前の話」なんて斜に構えた考え方をしていました。今どうだと言われると、「一理あるけど情報化だけでギャップが埋められるとは限らない」という感じでしょうか。

そう確信させたのが、イオンモール銚子の中にあるヴィレッジヴァンガードでした。

船橋市のららぽーと TOKYO-BAYにも、そこからちょっと離れた幕張や津田沼にもヴィレヴァンはあったのですが、私は特別ヴィレヴァンが好きだったわけでもなかったので「あー、ヴィレヴァンだねー。」くらいの感じで店内を通り過ぎていました。ところがイオンモール銚子にヴィレヴァンを見つけると、店内を食い入るように回り始めてしまい、売り場スペースの使い方、陳列方法、ポップの一つ一つに新鮮な感覚を覚えてしまいました。

そこで感じたのが、ネットだけじゃないリアルの世界の刺激です。たしかに、ヴィレヴァンで売ってる商品はネットでも買えます。ただし、その売り場の雰囲気、他の商品との絶妙な絡み合い、掛かってるBGM、店員さんの直筆の店内ポップなどは、実際にお店に行かないと感じ取ることができません。このような体験をネットで補完することが果たしてできるのか?と言われると、難しいなと思ってしまいました。「百聞」は0.4見くらいまではなんとかネットでカバーできるようにはなったかもしれませんが、やはり「一見にしかず」だし、ネットでは得られない刺激というのもどうしてもあるのだと思い知りました。

・不便ではない。でも満足したくはない。
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家に帰れば安い家賃相場のおかげで一人暮らしのわりには広い居住空間が広がっていて、外を走る車の音さえ気にならなければ、かなりリラックスできる環境があります。毎日の生活にもあまり不便はありません。

ただ、たまにはいつもとは違った刺激を受けないといつの間にか視野が狭くなってしまいそうで、それによってつまらない価値観に縛られてしまったりでもしたら、それはとても勿体ないなと思いました。そのためにも、アンテナは広く持ちたいと思いました。もちろん、郊外に住むということにコンプレックスみたいなものを持っているわけではありません。

郊外には郊外なりの楽しみ方があります。でも足りない部分もやっぱりあります。その両方のバランスをうまく取りながら、自分なりの楽しみ方、生き方を見つけていけたらいいなと思っています。

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2017年04月16日

最近の話(2017/04/16)

大学に卒業文集なるものがあったとしたら、きっとこんなことを書いたんだろうと思いながら、今しか書けない気がする現在の心境をつらつらと、近況報告的な意味も込めて書いています。

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・今、何をしているのか?
こういう類の文章で前置きとか書くのはすごく苦手なので、単刀直入に今現在の状況を説明すれば…

3月に某大学法学部を無事卒業し、親元を離れ、新社会人として働き始めている。
何の仕事をしているのかというと、実は農業をやっている。

…という感じになります。
法学部卒で農業だなんて、まあ驚かない人の方が珍しいわけですが、エイプリルフールからは既に半月以上経ってますし本当です。

私が農業をやっていると言えば、次に相手から返ってくる言葉は「なぜに農業?」に決まっています。実際かなり聞かれました。話せば長く面倒臭くなりそうなので、その都度「他にやりたいことがなかったから」みたいな感じで返していたのですが、自分の中でも整理しきれていない部分があるので、この場に書きながら整理します。

・自分は何をしたいのか?
「他にやりたいことがなかったから」というのは、適当に返す言葉として非常に便利ですが、あながち間違ってもいません。

私が通っていた大学では3年の夏ぐらいから就職ガイダンスのようなものが開かれる仕組みになっていて、その時から業界研究だの面接対策だのインターンシップがどうのだのとありがたいお話を聞く機会が多くありました。その度に今後の人生を真剣に考え、就職活動解禁までにはある程度方向性が決まるだろうと踏んでいました。しかし思うように将来像を描くことができず、ただ時間だけが流れるという日々が続いていきました。

やがて三年の学年末試験が終わり、すぐに就職活動解禁の時期を迎え、就活サイトからは毎日迷惑メールのごとく合同会社説明会のお知らせが届き、さすがにそのまま何もしないのもいかがなものかと思い、少しは興味がある業界の会社説明から、あまり興味がない業界の会社説明まで、いくつか聞きに行ってみたりはしました。しかし、こういう会社には入りたくないというネガティブリストは出来上がったものの、特別こういうところで働いてみたいというのは結局見えてきませんでした。

そうなればネガティブリストに入っていない会社を数撃ちゃ当たるで受けてみて、当たったら入社みたいな感じでいけば…とも少しは考えたのですが、そういうエネルギーはあまりわいてきませんでした。当然ながら履歴書やエントリーシートは受ける会社の数だけ書かなければならないですし、書く内容もそれぞれ変えていかなければならない部分もあり、下手な鉄砲を撃つにも一発一発がけっこう重いわけです。じゃあ本当に安い弾にしちゃえば?というのもありますが、あまり興味がない会社向けにそれっぽい内容の文章を安く組み立てるのも、自分に嘘をついているようで別の意味で辛く、結果として数打ちゃ当たる戦法はやめることにしました。

そして恥ずかしながら、結局自分は何をしたいのか?という振り出しに戻ってきてしまったのでした。そして、これまでの人生を振り返ってみたりもしました。

・夢はなかったのか?
幼稚園生ならニチアサのヒーロー、小学生ならスポーツ選手とかが将来の夢を聞かれた時の定番の答えです。もっとも、最近の小学生なんかはスポーツ選手じゃなくてYouTuberとか言うらしいですけど、それは置いておくとして、私も一応小さい頃は無邪気な夢を持っていました。

それはたしか小学校に入学してすぐくらいの時、私は同じクラスのいじめっ子に目を付けられていて、モノを隠されたりしました。私はそれまで誰かに嫌なことをされるという経験はなかったため、驚くとともにすごく悲しかったんだと思います。それで「学校行くとモノを隠されるから行かない」と言い出し、登校を拒否し始めたのでした。

一週間くらいそれが続いたんじゃないかと記憶しています。ずっと泣いてたとかではなく、家では元気に過ごしていたと思います。テレビで「がんこちゃん」を見た記憶はあります。当時は小学校に入ったばかりなので、義務教育が云々みたいなこともよくわからず、学校に通わないことによる嫌悪感みたいなものはなかったはずです。ただ、日に日に両親からの「学校行こう」の圧力が増してきて、「心配させちゃってるのかな…?」みたいな感情は徐々に芽生えたと思います。しかしながら、学校に行かなければモノを隠される心配はないという非常に合理的な思考を小学生ながらにして思いついて実践してしまった私は、親に責められても「不登校になったのはモノを隠すヤツのせい」みたいな思考のままでしたし、自分が責められることについてあまり納得はしていませんでした。

その新一年生にとっては長い一週間の不登校が終わるきっかけとなったのは、夜中の父親との会話でした。夜中と言っても当時小学生なので、たぶん10時とかでもすごく夜遅く感じたはずなのでそのぐらいの時間だったのでしょうが、「まあここに座れ」みたいな感じだったかと思います。ついに本格的に説教されるのかな…みたいなことを小学生ながら覚悟したわけですが、お菓子が出てきて驚きました。リラックスさせたかったのでしょう。そしてここからやっと話が繋がります。

リラックスムードの中、将来の夢を問われました。私はどういう意図の質問なんだろうとかそんなことは一切考えず、少し悩んでから「おもちゃ屋さんになりたい」と言いました。

で、これが完全に誘導尋問だったわけですが、じゃあ算数ができないといけないね、国語ができないといけないねでうまいこと罠(?)にはめられ、学校に行くことの必要性を自覚したのでした。でも結局翌日も学校行きたくないとか言って、それを見かねて母親が「学校行ったらご褒美あげる」みたいなことを言って、最終的にはそれが決め手で学校へ再び行くようにはなったんですけどね。ガキはご褒美に弱いわけです。笑(このくだり必要だったのか…?)

…蛇足はともかく、私が将来の夢を語ったのは、記憶にある限りこれが初めてです。

今おもちゃ屋さんやりたいかと言われると、少子高齢化の中で現実味があまり…みたいな話にはなりますが、【おもちゃ=ガジェット=大人のおもちゃ】みたいな曲解をすると、このブログのレビュー記事のリンクからモノが買われていって、ほんの少しだけ私の懐に入ってくるシステムを運用しているあたりは、小学生の時の夢を叶えてしまっている…かもしれませんね。(ただ、現状お小遣い稼ぎにもならないレベルだし、これ以上稼げるとも思っていないし、趣味でやってる部分は非常に大きいので、某キャッチコピー「好きなことで、行きていく」みたいなことを考えたことは一度たりともありません。)

その後は将来の夢を聞かれた時に、漠然と「デザイナー(何の?)。」とか「会社員。」とか言ってた気がします。「おもちゃ屋さんやりたいー!」とか言うのがちょっとダサくなってきた年頃から、そういうそれっぽい返答をすればいいとわかって、そうやって適当に答えているうちに、次第に将来のことをあまり考えない人間が出来上がっていったのだと思います。

・生きる上での指標を作り上げた高校生活
変化が起きたのは高校受験でした。私は地元のそこそこ頭のいい公立高校を「まあなんだかんだで受かるだろう」という気持ちで受験しました。そして、前期・後期の二回受験するも失敗し、滑り止めで受けていた某私立高校に通うことになりました。その私立高校には県内有数の実力を誇る自転車競技部があって、「もし公立で落ちたら吹っ切れてガチで自転車やろう」と思っていたところ、見事に落ちてしまったのでガチで自転車をやり始めました。

私は親の影響で小さい頃から自転車には乗っていたのですが、本格的に競技を行うというよりは趣味性の部分が多くありました。とくに、一緒に走る相手は親だけで、他の同年代の人と一緒に練習をするという機会はありませんでした。競技部に入部してからは共通の趣味を持つ仲間とすぐに打ち解け、お互いに切磋琢磨するという、今までは考えられなかった世界が一気に広がり、私の行動範囲や考え方は大きく変わっていきました。最近周りからよく「アクティブすぎる」と指摘されるのですが、地図を見て「この通りをここで曲がってしばらく行けばとりあえずあそこに着ける!」(ただし距離は度外視)みたいな距離感覚は、確実に自転車競技部という”異質な空間”で育ってしまったものだと断言できます。…自転車で10kmとかでも普通の人にとっては既に頭おかしい距離なんですよね。

その頭おかしい距離感覚の形成を急激に成長させたのが、”自転車通学”と称した事実上の朝練でした。高校は千葉市にあったのですが、三郷とか浦安とかその辺から自転車通学してくる先輩方が普通にいて、それにつられて私も船橋から雨が降らない限りは基本的に自転車通学をしていました。片道だいたい25kmとかだったかと思います。そしてこの自転車通学によって地足が鍛えられ、私はあまり運動ができる方ではなかったのですが、部の厳しい練習にもそれなりについていけるようになっていきました。

そして自転車通学には地足の向上という側面以外にも得られるものがありました。それが、頭で考えながら体を動かすという能力です。

当然ながら長距離の自転車通学には相応のリスクが存在します。自転車と車という異なる速度域の乗り物が同じ空間にあれば、どちらか一方の不注意一つで重大な事故が発生しかねません。実際のところ、私も何度か危ない目に遭いそうになったことがあります。大抵は相手の責任が非常に大きいのですが、とはいえ、いくら相手が悪かろうと私が事故に遭って死んでしまったりでもしたら、責任云々の話にはなりません。それはもう取り返しのつかないことです。「そうなる前に」と私は、どうすれば安全を確保しつつも速く走ることができるかを常に考えながら走っていました。そして次第に、「周りの車を見てその人がこれからどのように行動するつもりなのかを推測すれば安心して走れる」ということがわかっていきました。

それがわかってから、この能力は自転車で安全に走るためだけでなく、もっといろんなことに応用できるなと気づき、日常生活にもこの考え方を取り入れるようになりました。そうすると思いの外「気が利く」とか言われて感謝されるようになり、そこから私は「お互いの意図や考え方を推測・理解し、尊敬し合うことができれば、世の中はきっとうまい方向に進む」と考えるようになりました。

ちょうどその頃、未曾有の大震災は起こりました。東日本大震災です。高校一年生の学年末試験を終えた私は、気分転換のため自転車に乗っていました。「今日はなんだか風が強く吹いてるなー。電線の風のなびき方すごいなー。」とか思ったらそれが地震だったのです。揺れに気づきにくい状態だったのでしょう。これはまずいと思って家に帰る途中にも、地震の被害を受けた建物をいくつか見ました。家に帰れば、高く積んであった荷物が床に倒れかかっていたり、食器がいくつか割れていたりもしました。しかしそれが本当に小さなことに感じられるくらい、TVで報じられる東北の津波の被害の様子は非常に生々しいものがありました。連日の被害報道に私も居ても立っても居られない状態にはなりましたが、まずは自分のできる範囲から…と、世の中をうまい方向に進めるために自分ができる役割を考え続け、そこから得られたものを少しづつ実践していきました。

そしてその考えから「将来は行政の人間になって社会の役に立つ」という夢を持つようになりました。

高校生活も終わりに近づくにつれ、進路を考える時には夢を実現するため法学部のある大学を探し始めました。大学選びをするにあたっては、法学部を持つ有名な大学は都内にいくつもあるものの、「過度な都内一極集中は帰宅困難者を生む原因を作った」とか、「そもそも人口減少社会なのだから、むしろ人口分散が必要」という真面目な考察をした結果、千葉県内の大学に進学することを決め、実際に入学しました。…とか言いつつも一番の理由は「自転車通学できそうだから」だった気はします。(笑)

・半分迷走の大学生活
無事に希望していた大学に入学し、大学生活を始めました。行政の人間になるという夢を実現するため、日々これ努力…といきたかったのですが、迷走します。というのも、”行政の人間”とは一体なんぞやという壁にブチ当たってしまったのです。

とりあえずは真面目に授業を受けていればきっとわかってくるだろうと思って、そこには力を注ぎました。ただ、授業以外のところでの悩み(これこうなった)なども生じてきて、次第に「今やってることは本当に正しいのか?」と考えてしまうことも多くなってきて、あまり授業にも集中できなくなり、二年の時、ついにある授業で単位を落としてしまいました。

そうかと思えば「iOSアプリを作ってみたい」などと思いついたりして、全くの未経験からプログラミングに手を出し、一度挫折し、またもう一度手を出しまた挫折したりもしました。

この迷走の日々はなかなか厳しいものがありましたが、今思うと真面目に将来に向き合えた有益な時間だったのかなと前向きに捉えています。

その後は原点に戻り、焦りを抑えられるように将来のこととは少し距離を置くように努め、少しずつ自分を取り戻していきました。その結果、授業への熱も再び取り戻し、三年の学年末試験は過去最高の成績で終えることができました。しかし、その時にはもう「数週間後に就活解禁」という状況だったわけです。

・「ぼんやり考えていること」の集合体が夢だっていいじゃないか
さて、将来の夢というものを軸にここまでの人生を振り返ってみましたが、これを読んでどこがどう結びついて農業なのかは理解不能だと思います。書かない方がスマートだった気はしますが、論文とかと違って字数制限がないので、書いてしまった分を消す理由はないだろうととりあえず残しておくことにします。

ところで、”夢”ってなんなんでしょうか。

私が通っていた中学校の校長はなかなかいい話をする方で、「夢なき者に目標なし」「目標なき者に計画なし」みたいな話を学期始めに言っていて、それが今でも頭に染み付いています。これはたぶん、「夢があれば日々を有意義に暮らせるし、日々を大切に生きていれば夢に近づけるよ」って意味なんだと思うのですが、でもこれってけっこう残酷な話じゃないでしょうか。夢がなかったら人生は有意義に過ごせないのでしょうか。

変な話、私はこの言葉が引っかかって生きづらかったのでは?とさえ思っています。この論法で言えば、夢と目標はほぼイコールの関係にあると言えそうです。もし夢が漠然とし過ぎたものだったとしたら、「夢」の状態から「目標」の状態へと変換するのは非常に困難で、変換はそこで止まってしまいます。

私には「社会の役に立ちたい」というシンプルな漠然とした夢がありましたが、いくらなんでも漠然とし過ぎているし、世間一般的だし、目標への変換は不可能でした。ただ、ある時この校長の言葉を客観的に分析してみると、いくらなんでも夢を手段として捉え過ぎなのでは?と気づくことができて、だいぶ気持ちが楽になったのを覚えています。世間は手段的な夢を要求しがちです。もっと気楽でよかったはずです。

最近ようやく私の”夢”に対する認識が言語化できたので、ツイートを貼っておきます。



…相変わらずこれを読んでもわかりにくいですが、ぼんやりずっと考えていたものが蓄積されて、それがいざ現実のものになりそうだという時になってそれが目標となり、実現された時に初めて「これが夢だったんだ」と思うんだろうということを書いたつもりです。わけがわからないですね。

…まあ、そういうことです。(どういうことだ)

・おわりに
この文章を書いてみれば少しは頭の整理になるだろうとは思いましたが、自分語りの長文になるだけでした。ここまでちゃんと読んでくださった方にはお詫び申し上げます。申し訳ございません。

どうして農業なんかやるんだ…?という疑問については、もういっそ次の部分だけ読んでください。

大前提として、法学部生でも法律に全く関係のない分野に就職することは珍しくはありません。私の友人の中には介護職に就いた者もいます。

その上で…

郊外の人口流出は深刻です。
農業人口は減少しています。
私は満員電車が嫌いです。
できれば自由に自転車に乗れる場所に住みたいです。
→郊外の農業で働けば全部解決できるんじゃ?

…という思考回路だと思ってくれて結構です。これで納得するかどうかは別として。

あくまで仕事は仕事です。嫌なことがあっても仕事なら割り切れます。そこはどんな仕事に就いても同じなはずです。

私にはたまたま農業という選択肢があったというただそれだけの話です。とくに特別、農業がやりたいわけではありません。

ただ、きっとそのうち、私がここで働いてることで社会の役に立てているという実感が湧くタイミングが訪れるはずです。その時に「これが夢だったんだ」と思えれば、私はそれで満足するタイプの人間です。つまらないヤツだと思うかもしれないですが、そういうヤツなんです。

…まとまらないのでここで文章を終わりにします。
とりあえず今、私は頑張っています。元気にやってます。

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